電子制御工学科 永井 久

我が読書遍歴について

電子制御工学科  永井 久

 

愚生が学生時代から社会人に成長した時代において,どの様な読書をしてきたかについて退官の機会にあたり回想してみよう。まずある程度の文字が読める小学生時代には,父が姉弟のために毎月「小女クラブ・小年クラブ」を講読してくださった記憶がよみかえってくるものの読書よりも付録の作品,例えば,ピンホ−ルカメラ,ぼうえん鏡や金閣寺のモデル等を熱心に組立てる事に興味があった様です。しかしながら,当時の漫画で名作の「宝島」,「ああ無常」や「三銃士」を読んだ事を覚えています。小学生高学年では読書よりもむしろ野球に熱中した小年時代であった感がいたします。

中学時代には国語の藤田重次先生から口語と文語の文法を教わり,夏目そう石の「坊ちゃん」を始めて読みその感想文を書いたり英語の庄野先生の授業では「イソップ物語」を教わった事が記憶に残っております。中学時代は高校進学の勉強のために読書に関しては特別な印象がなかった記憶がします。藤田先生の影響のお陰で読書,美術や博物に興味を持つようになった節がある様です。  また,3学年のクラス担任の中川虎雄先生からは,毎日のホ−ムル−ムの際にクラスの生徒が変わる変わる司会をして「教訓の読物」を読み,読物の感想について司会者がお話するという貴重な経験をしました。この件は「君達は社会に出た際に,きっと自分の考えを発表したり,意見をのべる機会が生じる,そのための経験として欲しい」との親心で,今でも中学時代の思い出として強く心に残っています。アメリカでは「Show and Tell 」が小年時代から行なわれるために,その経験で学生や社会人になって人前で自分の意見をのべたり「Presentation 」をするのが非常に上手である。

高校生になってから,父が毎月購読していた「文藝春秋」「オ−ル読物」「週刊読売」を拝借して読んだり,文豪である夏目そう石,森おう外,芥川竜之介の名作を散読し,芥川賞作家である遠藤周作,石原慎太郎,大江健三郎や直木賞作家の松本清張,山本周五郎,司馬遼太郎の作品に興味をもって読んだのも高校時代で今でも鮮明に記憶に残っている。大学生時代には特に哲学書や随想全集に興味を持ち始めた時代で,よく大阪の日本橋,難波,梅田の古本屋通いをして,立読みをしたのが懐かしい。

社会人となって京都大学に勤務するようになってからは,通勤時間が長かったために高校時代からずっと読んでいた文藝春秋,単行本や新聞等を電車の中でよく読んでいた。特に文藝春秋に畫かれた随筆の筆者は名文家ぞろいで,朝日新聞のコラムの「天声人語」と似かよっていて,その上非常に教訓とウィツトに満ち溢れた文章が多く,特に好きでもあり,現在も毎月そのコラムだけは必ず読む習慣が続いている。

学生の町である京都市では出版会社や種じゅの本屋さんが多く,夏季や秋季には古本市がお寺の境内で開催されるのが慣例で有名でもある。毎年この機会には,自分の研究に役だつ専門書,興味のある美術書,単行本を立読みしてこれらの書籍を漁るためによく通ったのが懷かしい。

また,種じゅの学会会義のために始発の新幹腺や夜行バスで上京して,東京駅から上野駅に直行して,上野の森にある都立美術館,西洋美術館,東京博物館や平成館等で開催されている展覧会を見てから会義に出席し,神田神保町に会場が近かったために会議が終わり次第,もしも時間が許されるならば,時どきは古本屋街巡りで立ち読みをして書籍を漁さった事が遠い思い出いでとして残っている。社会人となってからは研究のために内外の学会誌,学術書,専門書を読む機会が非常に多く,本校に赴任してからも学会誌編集委員として学会誌を精読することが続いている。従って自分が読みたい思っている書籍を読む時間が少ないのが甚だ寂しい。

この度,我が読書遍歴について自分の経験を踏まえて小文を書ましたが,読書は場所を選ばず,その気になれば何処でも自由に本を読むことが出きる。しかしながら,毎月発刊される書籍が膨大であり,どの様な本を読むかの選択に迷わされる。 また読書の仕方には,読むスピ−ドとそこに書かれている内容が理解出来る能力も非常に大切であり,これらは読書と言う経験を積み重ねることにより自ずから達成されるものと確信できる。学生時代は自由な時間が一番多い時代でもあり,学校の授業で直接に関連した書物を読む以外に読む意欲があれば幾くらでも読書は成就されるはずである。

読書はただ単に知識を高めるばかりでなく,その人の感受性を研くことにつながる。