一般教科 冨士原 伸弘

読むということ

 

一般教科  冨士原 伸弘

 

文字を読むというのは、息をしたり、ものを食べたりするのと同じように、ごく自然に行っているものだろう。難しくて読めない漢字というのはあるだろうけれど、ほとんどの人がそれほど苦労せずに新聞・雑誌・漫画・メールなどの文字を読んでいるに違いない。

それではこれを読んでいただきたい。

 東野炎立所見而反見為者月西渡

どうだろう。お読みになれただろうか。これを見て「漢文だな」と思った人は惜しい。漢文の文法・語法を用いているところもあるが、これは中国における「漢文」ではないのだ。漢字を使用しているけれど、これは日本語を表現したものなのだ。

皆さんは「万葉仮名」というのをご存じだろうか。日本が大和朝廷によって国家としてまとまりつつあった、今から1500年ぐらい前の時代。独自の「書くための文字」を持っていなかった当時の人々は、中国から漢字・漢文を輸入して使用していたと考えられている。しかしこれには無理があった。もともと中国語を表現するための漢文なのだから、日本語を十分に表現することができなかったのである。そこで漢字を利用した新しい表記法が考え出された。それが「万葉仮名」である。これは漢字の音・訓などを利用して、当て字のようにして日本語を表現しようとするものだ。この表記によって記述された日本最古の歌集が万葉集であり、それがこの文字を「万葉仮名」と呼ぶ所以である。先に挙げたものは、万葉集に収められている和歌だったのである。

それではどう読めるのか。実は正解というものはない。いや、わからない。万葉集は全て万葉仮名で書かれていて、平仮名や片仮名などのふりがななどは付けられていないので、当時の人々がどう読んでいたのか現在の我々にはわからないのである。そこで、この万葉仮名で書かれた歌を「読む」ということが、古来多くの人々によって試みられてきたのである。

先に挙げた歌は古くはこう読まれていた。

 東野

 あづまのの(東野の)

 炎立

 けぶりのたてる(煙の立てる)

 所見而

 ところみて(所見て)

 反見為者

 かへりみすれば(顧みすれば)

 月西渡

 つきかたぶきぬ(月傾きぬ)

しかし、現在広く知られている「読み」は

 東

 ひむかしの(東の)

 野炎 

 のにかぎろひの(野に陽炎の)

 立所見而

 たつみえて(立つ見えて)

と校訂されている。こう読まねばならぬというのではない。いずれも一つの可能性にすぎない。詳細は省くが、例えば、日本語の語法では「陽炎が立つ」とは表現しないし、「月西渡」を「月西渡る」と読むことも可能なのである。

我々は普段何気なく「文字」を読んでいるけれども、現在のように日本語が漢字仮名交じり文の日本語として表記されるようになるまでには、先人達のとてつもない努力と苦労と工夫の積み重ねが存在するのである。「文字」を「読む」ために苦労をした先人達の思いを無駄にしないように、我々は大いに「読む」力を発揮していきたいものである。