情報工学科 3年 高尾 静日

目 次

図書館利用のお願い ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・図書館長       村上 純一

本と‘魔術’・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・一般教科      長谷部一気

本との出会い ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・・・一般教科      東田 洋次

変化と読書 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・情報通信工学科  草間 裕介

創造心理学(恩田彰 著)を読んで ・・・・・・・・・・・ ・・電子工学科    木下 敏治

「読書について」 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・電子制御工学科  雛元 洋一

名著 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・情報工学科    川染 勇人

編集後記

 

 

図書館利用のお願い

                                                図書館長  村上 純一

私たちは子供の頃から身長や身近な物の長さをメートルを単位として測っているので,1 mがどれ位の長さかを実感としてもっています。では,なぜ1 mが現在の長さに決まったかという疑問が生まれます。そこで,まずインターネットで検索して調べてみます。しばらく調べてみると,長さの単位は約6000年前の古代メソポタミア文明の頃から変わらず,ヒトの上腕の長さを基準として使われていたことがわかります。また,現在のSI単位の基になったメートル法は革命当時のフランスで作られたことがわかります。メートル法では,1 mは地球子午線の4千万分の1,つまり北極から赤道までの距離では1千万分の1と定められていました。この縮尺は古代からの長さの基準にできるだけ近づけたものです。

これで満足することなく,今度は図書館で調べてみます。書架を巡っていくと,ケン・オールダー著「万物の尺度を求めて―メートル法を定めた子午線大計測」(早川書房)が見つかりました。この本は,どうやら18世紀のフランス革命当時に地球の子午線の長さを測定するため,北部のダンケルクからスペインのバルセロナまでの三角測量の旅を題材にしているようです。早速借りて読んでみると,そこには,総延長960 kmという前代未聞の測量計画,先端技術による精密な測定器,ライバル意識をもつ2人の測量学者の確執,困難な作業の連続,ついに発生した人為的なミス,それを隠すためにデータ改ざんをした学者の苦悩,さらにはその誤りを知りながら公表しないで隠してしまうライバルの学者という今日的なドラマがありました。著者はアメリカ人ですがフランスの古文書を研究して隠されたなぞ解きをしています。結局7年間を要した国家プロジェクトのわずかな測定誤差と地球が完全な球ではないことから,1 mは約0.2 mm短く決まってしまいました。

歴史上の事件は私たちに無縁ではなく,生活にかかわる物事を直接左右することもあるという事実をこの例は見せてくれます。また,本を読むことには,新しい発見があるということを教えてくれます。元々は1 m の基準を調べようと思っていた訳ですが,それ以上にプロジェクト型の事業に関わる技術者の直面する問題や起こりうる事態などの仮想経験を積むことができました。ちょっと得した気分です。

さらに,この例は,インターネットと図書館の性格の違いにも気づかせてくれます。インターネットの知識は,事実を短時間に知るには都合がよいけれども,ある程度のところで留まってしまい,それ以上深く知りたいときには不向きであるようです。もちろんインターネットには数多くの学術論文がありますから,一概には言い切れないのですが,電子ジャーナルは大抵有料ですからアクセス権がなければ利用できません。図書館の本は,1次情報です。本の巻末には引用文献があり,出典が明らかにされていますから,どこまでも詳しく調べることができます。そこに図書館の存在意義があります。

ところで,本校の図書館には,現在,約87千冊の蔵書が閲覧室,書庫などに収められています。そのうち自然科学,技術・工学に分類される専門書はおよそ半数の43千冊です。数字は,雑誌や古い重複図書の整理の結果,第3号(通算32号)の報告とはやや異なっています。閲覧用図書は,ブックハンティングや各学科の先生方からの推薦図書により,毎年約1,400冊を新しく購入しています。また,利用状況は貸出冊数が年間約1万冊で,CDを入れると14千点近くに達し,全国の高専中のトップレベルとなっています。

しかし,この内訳を見ると,残念ながら,専門書では近年減少傾向にあります。予算に限りがあり,蔵書数や床面積で全国平均を下回る本校図書館としては,すべての分野で蔵書を増やすことはできません。専門書の蔵書数は,現状ではまだ不足している上,技術の進歩につれて内容が古くなるため常に更新しなければなりません。本校の使命が日進月歩の技術に対応する創造性ある実践的な電子情報系技術者の育成にある以上,専門書の充実が優先事項と考えています。学生の皆さんは,日頃の学習や実験レポートの作成に図書館の専門書をできるだけ利用するようお願いします。

最後に,最近残念なことには,本を粗略に扱う人がいることです。図書館から借りて読み終わった本を教室の後ろのロッカーの上に放置したり,ひどい場合には床に置いたりしているのを見かけることがあります。図書は,みんなの共有財産と思って大切に扱ってください。

 

 

本と‘魔術

                                               一般教科 長谷部一気

 先日、善通寺の近くの店でうどんを食べていると、後ろの客が、うどんは空海が中国からもたらしたモノなのだ、と言っているのを聞いた。空海が、「このうどん、‘食うかい’?」というシャレとともに紹介したかどうかは知らないが、渇水に喘ぐこの地に、少量の雨量でも育てられる食べ物を紹介したという話は、実際に庶民の生活に役立つ仕事もした空海らしい話だと思った。

ところで、この空海であるが、何故、中国(以下、唐と呼ぶ)に行ったかというと、密教を勉強しに行ったらしい。一口に、「唐に勉強しに行く」といっても、当時は命がけの話しである。実際、空海らの他に唐に行こうとした、船4隻のうち、2隻は沈んでしまったらしい。何故、そこまでして、密教を勉強したいのか? 実は、空海の前にも同じようなことをした有名な人がいる。それは、三蔵法師である。この人も、本当の仏教の教えを求めて、天竺(今のインド)に国禁を侵して出発してしまった。当時、国を許可なく出て行くことは死罪である。そこまでして、三蔵は、天竺にあるという、‘本’つまり経典を求めて旅立ったのである。彼らに共通するのは、命の危険を冒してでも知りたい、という強烈な知識欲である。これを知らないからには、いても立ってもいられないという思いがあったのだろう。それを、満たしてくれるのは、‘本’であったのだ。例えば、誰でもこれからの自分の将来が書かれている本があったら、絶対見てみたいと思うだろう。特に、経典というのは、この世界の真理が書かれている(ということになっている)から、これは自分自身の運命だけでなく、全世界の秘密を知ることができる、とんでもない‘魔術’の本であったのだ。それは、誰でも読みたくなる!

個人的には、本というのは、この‘魔術性’が多ければ多いほど、読むに値すると思っている。つまり、‘魔術’とは秘密を解き明かしてくれる、または新たな世界の見方を教えてくれるものであり、それがない本だと読んでいて興奮しないものだ。ちなみに、私が受け持っている物理や化学などは、もともとは占星術や錬金術といった怪しげなモノから生まれてきたものであり、実は現代の教科書に書いてあることなどは、中世に帰ったとしたら、とんでもない代物である。原子の構造や、宇宙の仕組みまで、恐ろしい内容が書かれている魔法の書物である。秘中の秘として、一般の人には絶対に見せられない本であったはずである。学生がこのことに気づいているとは思えないが、実際はそういうことなのである。

現代科学というのは、お呪いや、占いといった、いわゆる迷信の類とは逆であり、それとは相容れないものである。しかし、その教科書に書かれていることは、紛れもない科学的検証で生き残って来た‘‘真実の魔術’’である。こんな、この世界の秘密が満載の本を学ぶのに、退屈などしていられようか。本来、学問とは成績などのためにするものでなく、空海や三蔵がそうであったように、やむにやまれぬ思いからするものである。

現代は、命の危険を冒さなくても、そんな知識に飢えた若者を満たしてくれるものが、実は身近にある。お気づきであろうが、それは‘魔術館’である。(図書館ともいう。)身近すぎて余り感じないかも知れないが、実は、図書館は凄いところなのだ。

 

 

本との出会い

一般教科 東田 洋次

みなさんは、文章を読んだり、書いたりすることは得意ですか?

私は、学生時代、国語が苦手でした。現在も得意とは言えず、この文章も苦しみながら書いています。こちらに赴任するまで、高専生は理系科目が得意で、私のように国語に苦労している人ばかりだろうと予想していました。実際には、国語などの文系科目が得意で、逆に数学などの理系科目が苦手な学生がかなりいるようです。私の担当科目の物理を苦手とする学生も多いようで、予想は大きく外れました。

さて、私が国語を苦手とした原因を考えてみると、おそらく読書量の少なさのような気がします。小さい頃は、外でばかり遊んでいて、家の中で静かに読書をするような子供ではありませんでした。読んだ本も小説ではなく、宇宙や地球などの自然科学についての本などで、読書感想文のために、冒険小説を四苦八苦して読んだ事を憶えています。高校に入っても、受験勉強と部活動に忙しく小説のような本は読まなかったと思います。しかし、当時、世間では物質の根源である素粒子のニュースが大きく取り上げられて、流行りもの好きの私は素粒子の入門書をわけもわからず読んだ事を憶えています。小さい頃から理科が好きだった私ですが、現在も物理、特に素粒子の研究を行っているのは、このときの本との出会いがきっかけかもしれません。

このようにあまり読書をしない私でしたが、自然科学の本だけでなく、いろいろな本を読みたいと思うようになったのは、大学の時でした。海外旅行に行きたいと思い、旅行記を読むようになったことが、きっかけだったでしょうか。旅行記を読み、その国の歴史を知りたくなって、歴史書を読んだり、その場所に関係した小説を読んだりというように、ひとつの本から派生して、ジャンルにこだわらず、いろいろな本を読みました。きっかけは何でもいいでしょう。ひとつの本を読んでみると、それから派生していろいろな本を読みたくなってきて、本の世界が広がっていきます。これは、学校の勉強や研究についても言えることです。何かのきっかけがあれば、皆さんも、勉強や研究に邁進できるのかもしれません。

最近では、専門分野の本や論文ばかり読んでいますが、息抜きとして小説を読んだりもします。また、専門分野以外の英語の勉強のために、ハリー・ポッターの原著を買ってみたのですが、俗語が多くなかなか読み進める気になりません。しおりを挟んだまま、本棚の片隅に立てかけてあると思います。私の中では、ハリー・ポッターはまだ魔法学校に入学していません。

私の読書歴や本との出会いを書きましたが、今まで本をあまり読んでいなかった人にも参考になれば幸いです。そのような人にも本を読むようになるきっかけが訪れるはずです。そのきっかけ作りとして、図書館に行っていろいろな本を開いてみることもひとつの手です。また、最近は著作権の切れた小説が、青空文庫などのサイトでパソコンだけでなく携帯電話でも読めるようです。携帯電話でメールやゲームばかりせず、時間が空いたときにちょっと読むのはいかがでしょう。人との出会いも大切ですが、本との出会いも人生を変える大切なものになるかもしれません。

最後に、物理について、一言。教科書以外に、目で見て楽しい物理の読み物もたくさんあります。図書館にもニュートンやパリティや数理科学など科学の読み物や雑誌がたくさんあります。物理に興味を持っている人だけでなく、物理が嫌いになった人も一度、物理の本を手にとって眺めてみよう。今までに知らなかった世界がそこに広がっているかも知れません。

 

 

変化と読書

情報通信工学科 草間 裕介

チーズはどこへ消えた?

今年で退職される先生のお言葉に次のようなお話がありました。これまでの教職生活を漢字一文字にあてはめるとそれは「変」という字が適当ということでした。移り変わる「変化」に乗り遅れずに対応してゆくためには「ベース(土台とか基礎)」が大切であり、高専でまさに今学習している一般/専門すべての科目こそが土台なのだから、安心して勉学に励んでくださいというありがたいお話であったと思います。

中国から伝わった古い学問に易学というものがあります。「易学」=「占い」のイメージがありますが、実際はかなり違うそうです。「易」という漢字は「かわる」「変化する」の意味があり、古くは「とかげ」の象形文字に起源があるそうです。私はまっさきに爬虫類のカメレオンを想像して納得することができました。この中に書いてあったことですが、「変わること」や「変わったこと」が本当にわかるためには、その正反対の「絶対に変わらない」部分をよく把握しておかなければならないそうです。先生のお話の「変化」に対応してゆくことと、大切な「ベース」(=変わらないもの)によく当てはまると感じました。

題目の「チーズはどこへ消えた?」は少し古い1999年度の全米ビジネス書ベストセラー第1位の本のタイトルです。「変化」ということばで思い出しましたが、これから会社に入る学生はひょっとしたらどこかで出会うかも知れません。

読書と食事

小学校や中学校のとき、読書が大切ということを親や先生からよく聞かされました。国語が苦手だった私はそのとき、国語の成績を良くするための方策だと思っていました。

最近開いた本に「読書」=「心の食事」ということが書いてありました。肉体に食事を与えないと目に見えて衰えるように、心も自覚症状に乏しいものの「一日読まなければ一日衰える」ようです。心の食事は読書だけでなく日々の経験や人との関わりによるところが大きいようですが、実際には経験や関わりだけでは不十分だそうです。このことについて同じ読書でも性質は少し異なりますが、工学実験の「実習」と「理論」の関係にも同じことが言えるのではないかと思いました。実験中に何かを経験しても、そこで生じた感情とか疑問など、時間を割いて図書館や本屋で調べ(読書して)やっと自分のものにできたとき、はじめてそのテーマがその人の養分になるのだと思います。ここで大切なのは(とてもおもしろい法則です)楽をして調べたものは楽に忘れてしまうということです。

工学実験と人生では性質が異なりますが、ともに経験だけでなく読書が必要という意味で同じではないかと思います。また、どちらの読書も人から強要されても意味はなく、いろんな比較をしながら試行錯誤して自分に合う本を見つけることに意味があるのだそうです。

 

 

創造心理学(恩田彰 著)を読んで

                      電子工学科 木下 敏治

創造および創造性に関する研究は、最近学会においてその重要性が認識されるようになり、各種論文が出るような状況になっている。この本は創造心理学の体系化を行い我が国において発想法において西欧に勝る独創的な方法論が生み出されていることを示している。禅の悟りと創造性について第十五章に詳しく書かれている。悟りとは、冷暖自知といって、実際に水にふれ、火にふれて、その冷暖の事実を自らはっきり体験的につかむことにあると言えよう。また悟りは、一種の禅体験である。またこの体験は、自己と自然、宇宙と一致した、自己と対象とが、一体化した体験であり、主客未分の純粋体験である。これを心身関係からいえば、心身脱落といい、自己に関していえば、自己透脱の状態をして三昧という。内外打成一片となる、すなわち自己が雨だれになりきっている状態がそれである。これを自己の立場からいえば、自己が自己に自己自身になりきるというものである。第十五章の二では、悟りの体験とその論理について鈴木大拙先生を例に出して、その具体的内容を詳しく解説している。たとえば、水とは何かいう定義をし、概念を規定する場合一般には「水は液体である」または、「常温の水は、液体である」という。しかし水は、いつでも液体の状態にとどまらない。温度が下がれば、結氷して固体になる。これを氷と名付けている。また温度が上昇して、気体になる。これを水蒸気と名付けている。もう少し別の観点から考察してみよう。常温の水は、いかなる場合でも「液体」としてのふるまいをしないものである。たとえばジェット機が失速して海面に激突したとしよう。水は分子相互の位置関係を変えているひまはない。そのため水は「液体」としてよりも、むしろ「固体」に近い振る舞い方をする。そのさい起こっている現象は、水は「液体」ではなく、「固体」であると考えた方がよい。すなわち、液体としての水→液体としての水でない→固体、としての水、公式化すれば、AnonAB言い換えれば、A=nonA故にA=B、ここにおいて即非の論理は、認識の論理にとどまらず、変換の論理または創造の論理に転化するのである。また、西田幾多郎先生のいう「絶対矛盾的自己同一」の原理もこの禅の論理と同じ思想体系に属するものと見て良い思う。市川先生によると科学としての現代創造論を大別すると、次の二つの立場がある。創造とは、既知の要素の新しい組み合わせであるとする、組み合わせ理論を根本におく考え方である。今ひとつは、創造とは、歴史的な過去を受け継いで、これを新しい条件の下で、未来にむかって変換・再構成していくことであるとする、歴史の論理を根本とする考え方である。市川先生の等価変換理論は、後者の代表的な考え方に属していると述べている。等価変換理論は「相異なる二つの事象A,Bの間に適当な思考観点Viを設定して、両者に共通する構成要素を抽出し、A,Bに等価・対応関係を見つけることである」と定義されている。道元禅師は、「正法眼蔵」において、「仏道をならふといふは、自己をならふなり。自己をならふといふは自己をわするるなり。自己をわするるといふは、万法に証せらるるなり」と述べている。この場合、「自己をならふ」の自己は、第一の自己であり、「自己をわするる」は、第二の非自己で、無我であり、死にきった自己である。そして「万法に証せらるる」は、これはものごとと一つになった自己、すなわち現成した「真実の自己」である。これは万法といっても、真実の自己といっても同じ事である。真実の自己は、個人の側からいえば、個々の状況において創出される自己実現する自己すなわち独自的な個性であり、他方創造的所産からいえば、発明・発見などの科学における創造活動、芸術における創作活動などまたは日常生活における創造活動である。さらには、あらゆる創造物と自然が含まれるであろう。以上の内容は禅の悟りを創造過程として、考察してきたものであるが、技術者として独創的な研究活動や、日常業務を果たす上で大切なことを教えてくれていると思います。鈴木大拙先生は、英文で日本の仏教文化を西欧に紹介した第一人者であり、現在活躍している世界中の多くの人々に多大な影響を与えていると思います。初代石黒校長先生がキリスト教の熱心な信者であったので、キリスト教における祈りと仏教における祈りの違いを鈴木大拙全集第二十六巻にみつけられて、この先生は偉大な先生だなあと私に教えてくれました。初代長岡技科大の学長さんも独創精神という著書で鈴木大拙先生の影響を大きく受けたことにふれられています。現在の地球温暖化など人類にとって困難な現実に立ち向かうとき、技術者として常に世界的仏教哲学者鈴木大拙の存在を忘れずに困難な問題に立ち向かっていこうではありませんか。

 

 

「読書について」

     電子制御工学科 雛元 洋一

 読書は知識を身につけたり、特にドキュメンタリー本などを読むと擬似体験になったりするため、生活には欠かせないものとなっている。また、娯楽や楽しみの要素もあり、気が晴れたり、紛れたりもする。

ただ、私の経験談だが、学校生活において授業をあまり熱心に聞いていないと、授業についていけなくなり、授業自体に楽しみを見出せなくなったりする。すると、他の趣味、たとえば読書のほうが楽しいので、読書にのめり込むようになり、勉強との両立が難しくなってしまったのだ。だから、勉強と読書は両立させるように配慮しなければいけないと思う。しかし、読書についての楽しい思い出もあり、集英社から「ナツイチ」という、夏休みに合わせて読むことを推薦する本100冊のフェアが開催され、その中から読みたい本をピックアップしては読んでいた。その中でも「遠野物語」などは特に印象深く、楽しく読ませていただいた。このとき、種々雑多な本を読んで、色々な話を楽しんでは読書歴に記録していったり、読書感想文をがんばって書いてみたりした。けれど、今では自分が読みたいと思う本を読んでいる。

 また、学校の中で教科書を試験前にチェックするのも一種の読書だと思う。また、学校での授業や教科書だけでは分からないようなテストの問題などは図書館で教科書の内容と関連した他の本を調べて、分かる範囲で勉強したりするのも有効であると思う。とにかく、友達と話したりするだけでなく色々な本を読んでみるのは楽しい経験であると思うし、視野も広がると思う。

 以上、手短に読書について私の考えるところを述べさせてもらった。

 

 

名著.

情報工学科 川染 勇人

“Spectroscopic Study of Neutral Hydrogen Atoms in Helical Plasmas”.私の博士論文のタイトルである.研究内容は,磁場により閉じ込められたプラズマ中に存在する水素(重水素)原子からの発光を分光する.これによって得られたスペクトルの解析を基に,水素原子の挙動を調べるというものである.この時,磁場中に在る水素原子からの発光スペクトルプロファイルを正確に評価するには,ゼーマン効果及びパッシェン・バック効果についての知識が必要となり,さらにこの為には,量子力学についての知識が必要となる.このような理由により私は,量子力学を勉強した.私は,理学部物理の出身ではないので,本格的な量子力学の講義を大学,大学院を通して受講したことが無い.では,どうやって学んだかというと話しは私が19歳の時にまでさかのぼる.当時,私は高松高専の4年生であった.あるきっかけから先生に薦められて,朝永振一郎の「量子力学I」を読み出した.この本はとてもよく出来た本で,前期量子力学について詳しく書かれていて,量子力学というものに対してすんなりと入り込むことができた.しかし,読んでいくうちに内容が難しくなって,マトリックス力学に入ったところで力尽きてしまった.その後,しばらく量子力学のことはすっかり忘れていたが,大学3年の時に図書館で朝永振一郎の「量子力学U」を見つけた.この本の書き出しは波動方程式で,以前より数学的な知識が増えていので,何とか理解できた.これに気を良くした私は,この本を買って,また量子力学の勉強を始めた.それにより大学院入試を切り抜けることが出来た.大学院では,研究所付の研究室に所属していた.この研究室は研究所内に在って,同じ建物の中の図書室にはプラズマ物理関係の図書,雑誌が充実していた.もちろん量子力学についての本もたくさんあった.この図書室では,シッフの「量子力学 上・下」,朝永振一郎の「角運動量とスピン」,Diracの「The Principles of Quantum Mechanics」,ランダウ・リフシッツの「量子力学」等々があった.これらの本の中から何とか自力で読めそうなものやお気に入りのものを何冊か購入した.勉強は,(大型装置を使う研究だったので)装置のメンテナンス期間や解析するような良い実験データが得られず途方に暮れていた時期に行った.要は,暇を見つけて勉強したということである.

 こんな感じで勉強した知識を基に,摂動論を使って,磁場中に在る水素原子の発光スペクトルを計算してみたものの,今でも人様から,量子力学って分かりますか?と聞かれると何とな〜く,分かっているようなとしか答えられない.一冊の本から始めた独学であり,何とな〜く,分かるようになるまでに,本は数冊になっていた.同じ「量子力学」というタイトルではあるが,説明の仕方,重点を置く項目の違い等,それぞれの本にはそれぞれの個性がある.今現在,量子力学の知識が必要となる場面で,私が参考として開く本は大体いつも同じ本である.なぜいつも同じ本なのかと問われると,答えは簡単で,まったくもって私の趣味だからである.理論の展開がスムーズに私の頭に入ってくる.加えて実用的な内容を数学力の無い私にでも理解出来る程度に易しく表現している.こんな本が私のお気に入りである.図書館でいろいろな本を手にとって読んでみる.それを何度か繰り返すことで,お気に入りの一冊を見るけることが出来た.このお気に入りの一冊は,今後もずっと私の本棚の中にあって,折に触れて私を助けてくれるはずである.世の中に名著と呼ばれる本はたくさんあるが,自分にとって一生使っていける本が自分にとっての名著であるような気がする.そんな名著を見つけるためには,たくさんの本と出会わなければならない.学生,教員,研究員等を問わずよく会話の中に「〜について書かれた良い本ってないですか?」という言葉が聞かれる.私自身も時々,人に本を紹介することがあるが,その本はあくまでも私のお気に入りであってその人にとっても良い本かどうかはよく分からない.結局のところ良い本,自分にとっての名著はたくさんの本の中から自分で探し出さなければならない.勉強は学校を卒業した後もずっと続けていかなければならず,良い本の見つけ方を知っておくということは必ず大きな助けとなる.その為に,図書館は最も適した場所である.皆さんにも図書館で多くの本と出会って,是非自分にとっての名著を見つけて欲しい.

 

 

編集後記

 この冬は記録的な暖冬のためあまり季節感を感じることなく、冬が終わってしまいました。

 今号は図書館長、教員の7編を掲載することができ、一冊の本や図書館に対するさまざまな想いが込められた原稿でした。