電子工学科3年 石村 大樹

 

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第21回読書感想文コンクール入賞作品

 

第1位「豊かさの条件」を読んで・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・情報通信工学科4年 天野 未来

第2位「天使の卵」を読んで・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・電子工学科5年   大池 直子

第2位 人生は一度だけ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・1年2組      安藤 かな

第3位 「タイヨウのうた」を読んで・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・電子制御工学科3年 曽根 裕貴

第3位 肌で見て感じたベトナム・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・1年1組      圖子 維秀

第3位 「ひめゆりの沖縄戦」を読んで・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・1年3組      丸山 健太

編集後記

「豊かさの条件」を読んで

 

                           情報通信工学科4年 天野 未来

 

ある時ふと気が付いた。私は大部分のことに無関心である、と。新聞を読み自分なりの意見を述べる事もできるし、映画や音楽鑑賞して涙することもある。それでも心の奥底には冷たい自分がいて「本当はどうでもいいくせに」と囁くのだ。人との会話を笑顔でこなしていても、どこか「くだらない」という思いが常につきまとう。そんな自分に大きな不安を感じていた。今後自分の将来を大きく左右する進路についてさえ、どこか他人事のように思い取り組む自分が嫌いだった。そうした思いのはざまで、私はこの本を読んだ。

 豊かさとは何か。人が一生涯追い求めるものであり、人が生きる意味にもつながるものである。筆者の睴峻さんは、経済が現代人にとって最重要命題となっている現況を鑑み、人がゆとりを持つことを重要視している。そして、そのために様々な社会的制度の見直しを掲げる。

 豊かさを判断する基準は物質ではない。まして財産であるはずがない。自分が豊かであると判断するのはそれぞれの人の心だからである。心はお金で買えるものではない。もしも心の中にある自分にとって最も大切な人の思い出と、それまで手にしたことのないほどの多額のお金を両天秤に掛けてどちらを取るかと問われたならばどうだろう。心の中に空虚な世界を作ってまで、金銭に執着できる人はいないのではないだろうか。いや、いたとしてもその人がそうしたことを後悔することは疑いない事実である。従ってどんなに自分にお金をつぎ込んだとしても、豊かさを得ることはできないのだ。そういった点で筆者が言うように現在の経済を重視する社会に豊かさは存在しない。しかしながら、私には制度を変えるだけでは、人々が豊かさを手に入れられるとはとても思えない。同時に重要なことがあるはずだ。

 私は「無関心」である状態をまずしいと捉え、その状態である自分を嫌っている。なぜか。私の考える豊かな人生には、常に人との繋がりが存在しているからだ。誰かと心を通わせることができた時。それは相手と自分の思いが共有され、同じである場合だけではない。たとえ考えは異なっているとしても、そのことが分かるにはお互いの心を伝え合うことが必要となる。数えきれないほどの人との繋がり。それによって心が満たされていくこと。これこそが豊かさを手にした状態ではないだろうか。そしてこうした私と日本の教育制度の間に、私はある関連を見ている。

 日本の現状、中でも教育制度は今まで私が直接関わったものであり、今の私を形成する上でも重要な役割を担っている。筆者も豊かさを論じるにあたって教育制度に言及している。では、その日本の教育制度は豊かさを生むものか、それとも貧しさを作り出してしまうものか。この本を読む限りでは、貧しさのほうと言わざるを得ない。

 世論にも日本の教育制度の問題を主張されるものがある。例えば、日本の教育が「不登校やいじめ」を生じさせている、といったもの。しかし、そういった現象画と制度との関わりに終始した見方は大きな誤りではないか。私が教育に貧しさを見るのはこういったところではない。例えば不登校やいじめをする子供は、現在の教育制度が相容れないものであることを明確に自覚し、ただそれを周囲に表現しているとも言える。制度と自我とのへだたりは、ある意味で制度の不備とも言えるが、それならば多数の自我に見合った制度などあり得ない事も同時に理解されるのである。思うに日本の教育制度が生み出してしまったのは、私のような「無関心人間」である。これは今の日本に教育制度を素直に受け入れてきた子供にこそ当てはまる矛盾ではないだろうか。ならば、一度制度によって生じた「無関心」は、皮肉にも制度の変革では消えないのである。

 実社会へと出れば、今まで以上に広く深い世界が私の前に開けるだろう。新しいものが次々と私の中へ流れ込む。その世界で私は豊かさを求める努力をしていきたい。そんな時、自らが持つ「無関心」という鎖に縛られているがために、世界が狭まってしまったら。

 私は「無関心」である自分が嫌いである。だからこそ「無関心」という心を外から見えないように見えないように仕舞い込んできた。しかし、嫌いだ、という一言で自分の心から目を背けて良いはずがない。ずっと背を向けてきた「無関心」という心に、真正面から対峙する必要を強く感じている。

 豊かさとは人のあり方の問題である。「何にでも関心を」など言っても恐らくは綺麗事でしかない。物事に対して「関心」「無関心」のどちらの目を向けるかを周囲との関わりの中で決心する。そして、決心するまでの過程を自覚し生を全うする。この自覚によって私の心身は豊かさに包まれるだろう。

 

書名 「豊かさの条件」  著者名 「睴峻 淑子」  出版社 「岩波書店」

 

              「天使の卵」を読んで

                           

                           電子工学科5年  大池 直子

 

私がこの本を読んだのは、この夏入院することになり、父が、退屈しないようにと本を何冊か買ってくれたのがきっかけでした。私はその時、突然の入院に戸惑い、なんだか周りのものが何もかもどうでもいい気持ちで、目の前の事実が受け入れられずにいました。そんな時にたまたま持ってきてくれたこの本を読みたいと思ったのは、やっぱり題名がその時の私の心境からして魅力的な物だったからだと思います。私はこの本の天使という言葉に惹かれました。なぜならその時にもし天使がいてくれたらいいのにと思っていたからです。

最初のほうは、よくある恋愛って感じの出だしでした。主人公のアユタは電車で一目見ただけのハルヒに恋をする。普通にありそうな日常から始まったこの物語は、なぁんだと少しつまらないもののように感じました。しかし、このまま平和に結婚とかそういう話になるのかなぁと思って物語を読み進めていくと、「心の病」とか、「自殺」とか、なんだかヘビーな言葉が出てきたので驚きました。この物語に出てくるハルヒは、昔の恋人が自殺をしたという過去を引きずったまま生きている女性でした。

ハルヒは大好きな恋人の異変に気づいてあげられず、そのせいで恋人は自殺してしまったという考えを捨てられずに生きていました。この部分を読んだとき、私は頭の中で考えました。もしも自分の大切な人が心の病になったら、もしそれで自殺をしてしまったら。私は親や友達のことを思いました。その瞬間、とても怖くなりました。ハルヒの深い悲しみが少しだけかもしれないけどわかる気がしました。ハルヒはこの後主人公のアユタによって心の病から開放されますが、やがてハルヒが突然亡くなってしまいます。アユタはハルヒに最後の最後に意地をはってしまったことを後悔します。失ってから気づくその存在の大きさに、アユタは涙します。

この本を読み終え、私はこの物語と自分の人生を少し重ねてみました。この夏入院になって、これからずっと食事療法を続けなければならない、不味い栄養剤をずっと飲まなければならないと知らされた時、私は最初の頃、「こんな不味いものを一生飲んで暮らすぐらいなら、死んだ方がいい!」と、平気で母に言っていました。しかし、この本を読んで、私が死んだらきっと悲しむ人がいるということに気が付きました。私は母に言ってしまった言葉でどれだけ母を傷つけたかがわかりました。きっと母は私がハルヒの過去を読んだ時と同じ気持ちになったに違いありません。人が死ぬというのは、それだけ重いことだというのを、ハルヒとアユタに教えられました。私はもう軽々しく死ぬなんて言わない様にしようと心に決めました。

最後の「ハルヒがいた。」という文で、私は、アユタはきっと、そこで乗り越えることができたのだと思いました。大切な人を失くした悲しみはなかなか消えないけれど、ハルヒはアユタの心の中で生き続けているというのを、アユタは感じることが出来たのではないかと思いました。私はこの本を読んで、普段何気なく一緒にいてくれる両親や友達の有難さを知りました。そして、大切な人をもっと大切にしていこうと思いました。病気のことも、今だったらもっと前向きに考えられるような気がします

 

  人生は一度だけ

                              

                                                        1年2組 安藤 かな

 

「後悔してもかまわない、で起こした行動は、たぶん、やっぱり後悔することになるでしょう。けれど、そんなふうにして得た後悔は、後悔しなかったことより、もしかしたらずっと素敵なことなのかもしれません。」これは筆者が本の中で述べた言葉である。私は、これから生きていく上での自分へのエールのように聞こえて、嬉しくなった。

 後悔既にしてしまったことについて、後になって悔やむこと。辞書にはこうある。私たちは後悔と聞くとあまりよい印象を持たないが、それは私たちに問題があるのであり、決して後悔すること全てが悪いとは言い切れないのではないか、と思う。例えば、自信はなくともやるだけの事はやり、臨んでみたが失敗した時の後悔。ここで「やらなければよかった。」と思ってしまっては、あまりにも寂しい。失敗して後悔したなら、その後悔をエネルギーに変えたらどうだろう。次に臨むときまで、“心のダム”に蓄えておいたエネルギーは絶対に無駄にはならない筈である。

 ならば、何故私たちは後悔という言葉にあまり良い印象を持たないのか。それはやはり、失敗することを懸念し、臨む前か諦める心を持ち合わせたとき、当然の事のようについてくる後悔。この後悔こそ、私たちが日常生活で体験する後悔の割合として高いものと言えるからであろう。つまり、失敗を恐れるが故に、やってもみないうちから断念してしまう。これではエネルギーに変えることのできる後悔は残る筈もなく、まさに「後悔先に立たず」の諺通りである。

 現在、個性の時代と騒がれている中で、日本は「自分を出さない若者が増えている」と言われている事を知っているだろうか。授業においても、挙手して自分の意見を述べる、という光景を見ることが以前に比べ明らかに少なくなったという。デンマークの教員養成学校では、「英作文の間違いを赤ペンで真っ赤に直して返すやり方は、生徒の意欲を失わせるから避けるように」と指導している。確かに間違いを指摘してばかりいると、「間違わないように」「失敗しないように」と臆病に考える癖がつきやすい。「失敗を恐れず、まずはやってみよう」というチャレンジ精神が薄れてしまう。挑戦しなければ失敗することもないだろうが、創造もないということを認識しておきたい。日本でも、もっと失敗に寛容な社会を創り上げることができれば、視野もグンと広がるように思う。

 一度きりの人生をどう生きるか。その生き方は人それぞれであり、失敗や後悔のない人生を願う人もいるだろう。しかし、必ずしもそうでなければならないこともないと思うのだ。むしろ、失敗や後悔のない“後悔”という壁で塗り固められた人生が存在するとしたら、それはそれでつまらないのではないだろうか。私は考えた。全ての人が平等に与えられた、たった一度の人生の中で大切なことは何だろう。

 それは、「自分らしく生きる」ということ。失敗するより、成功するに越したことはないが、物事をする度に成功・失敗の結果を考えていては、開ける道も開かない。大切なのは、自分の信念を持ち、自分らしさを持って生きることではないだろうか。誰のものでもない、自分の人生なのだから。

 『人生は一度だけ』自分自身の経験や、身の回りの人が体験した出来事を聞いて感じた筆者の素直な思いが、この一冊の本にぎっしりと詰まっている。「人生とはこういうものだ」「人生とはこうあるべきだ」という堅苦しいようなことは一切書かれておらず、何故か読み手を励まし、元気付けてくれる作品だ。

 人生は一度だけ。どんな人生観を持って生きるのか、人によって異なるのは当然のことだ。私は、何らかのこだわりを持って生きたい。そして自分の気持ちに素直に生きたい。それこそが、「自分らしく」生きるための、最大の鍵となるのではないだろうか

 

              「タイヨウのうた」を読んで

                        

                          電子制御工学科3年 曽根 裕貴

 

 「タイヨウのうた」は、主人公の雨音薫がXPという難病をかかえ、わずか十六歳で死ぬまでの物語である。XPとは、太陽に当たると、一般の人の何倍も皮膚ガンになりやすく、今はまだ、決定的な治療法もなく、進行を遅らせるためには、紫外線をさけて生活するしかない難病である。しかも、その病気は、それほど長くは生きられないというものであった。僕は、この本を読んで、初めて、XPという病気があることを知り、そして、この世に、太陽に当たれない人がいるということに驚いた。

 僕は、どうして皆平等に産まれてこないのか不思議に思う。大半の人々は、何も異常のない元気な赤ちゃんとして産まれてくるが、一方では、「五体不満足」のように何かしらハンディをかかえて産まれてくる人々も少なくない。しかし、ハンディを背負って産まれてきた人々は、何事にも一生懸命で、まるでハンディなどかかえていないかのように、毎日を過ごしている。その姿は、ハンディのない人々が感心するほどである。雨音薫も、XPというハンディをかかえながら、音楽を聴きに来てくれる人々を魅了するストリートミュージシャンであった。薫は、毎日、夜になると、駅近くの路上で歌い、その歌声は、聴く人々を癒したと書いていた。薫にとって、歌うことが生きがいであり、何よりもの親孝行になると思ったのだと思う。僕は、ハンディをかかえた人ほどかっこよく、輝いていると思う。

 よく、テレビで、ドキュメンタリーや実話をもとにしたドラマなどが、報じられているが、皆いきいきとしている。余命何ヶ月で、もしかしたら、明日死ぬかもしれないという人が、一日一日を生き抜き、その後、何年も生き延びたという話を何回か聞いたことがある。そんな人々の生きようとする力は、何ものにも変えられない治療法となり、それは、真の生命力と呼ぶにふさわしいものであると思う。命の可能性とは、すばらしく、時には、医学をもくつがえすことがあるのだと思う。また、医師や家族の支えや、あきらめない強い愛が、生きようとする力の源となるのだと思う。まさに、人は人に支えられて生きているのである。

 最近は、自ら死を選ぶ人がたくさんいたり、意味もなく人が殺される事件が毎日のように、新聞やニュースで報道されている。こんな世の中でいいのか。僕は、間違っていると思う。世間や人々に流されて、自分を見失い、何か大切なものを忘れている人が、たくさんいるのではないか。僕は、雨音薫のように、毎日を大切に、そして、一生懸命に生きて欲しい。そして、僕たちは、生きたくても生きられなかった人々の分まで生きるべきだと思う。雨音薫は、短い生涯の中で、そんなことを教えてくれた気がする。

 

タイヨウのうた  天川彩  SDP

 

               肌で見て感じたベトナム

                              

                                     11組 圖子 維秀

 

この夏、僕は直視する事のできないくらい残虐な写真の前で、息を殺して立ち竦んでいた。ベトナム・ホーチミン市の「戦争証跡博物館」に陳列された数々の戦闘機や爆弾。初めて目にしたその鉄の塊たちは、不気味なまでに静かに平然とした表情で、入り口の広場に並んでいた。「この地震爆弾は6.8トンで破壊力は直径百メートル。」

 現地のガイドさんが流暢な日本語で説明してくれた。しかし、平和な時代に生きている僕にとっては、どんなに想像力を駆使しても非現実的な内容には、ついていくことさえ出来ないのだ。それでも、目の前の、あまりに残虐かつ衝撃的な光景を視覚的にみせつけられては、どこにも逃げる事の出来ない戦火に焼かれ、恐怖に慄くベトナム人達の苦しみが、もう他人事ではなくなっていくのであった。そして、それらの見聞を徹底的に私に伝えてくれたのが、開高健の「ベトナム戦記」であった。1964年末から65年にかけて、ベトナムの戦場からリポートした作品である。アメリカの従軍記者として、いつでも自分の意思で戦争から撤去できる立場だったとは言え、彼の生々しい体験のレポートは、当時の遠く離れた日本人に大きなショックを与えたに違いない。「突然銃声が響き、恐怖の銃撃戦が始まる。竹細工の様な骨の上にセロファンより薄い皮膚を張って、よちよち歩きまわる豆腐の様な頭蓋骨の彼が、悲惨な司令部となった。あり塚の中で感じた恐怖は、想像を絶するものである。」胸が得体の知れない大きなもので押し潰されそうな圧迫感に私は襲われた。目の前で、肩を抜かれ、腿に穴があき、鼻が削られ、尻をそがれ、顎を砕かれた負傷兵が、誰一人として呻く事もなく、悶える事もなく、ひっそりと死んで逝ったという。人の命の重さ・尊さを盛んに主張する世の中で、こんな事が許されるのか。しかし、悲しい事に、これが「戦争」というものなのだ。当時のサイゴン中央市場は、毎日の様にお坊さんが戦争に抗議するためガソリン自殺や割腹自殺をする場所であった。この本では、地雷と手榴弾運びの一人の少年の公開処刑の様子が書かれている。十人のベトナム兵が一人の少年を撃つ。黒く開いた小さな穴から鮮血が流れ出す。うなだれた首をゆっくり右、左に振る少年のこめかみに、将校がとどめの一発を打ち込む。この少年が逮捕されていなければ、彼の運んだ兵器で沢山の人が命を落としていたに違いない。将校の命令を実行するかしないかで、彼は<英雄>にもなれば<殺人鬼>にもなる。それが「戦争だ。」と作者は言い切る。<自然>のいたずらで地上に出現、大脳の退化した二足獣なのだという感情が、彼を絶望の淵に立たせていた。こんな悲惨な出来事のあった同じ場所で平和にどっぷり浸かって育った私は、何を考え事も無く買い物を楽しんできた。今思うと、とても複雑な心境である。

 今日も世界のあちこちで内乱や紛争は起きている。戦争を知らない私達が、戦争や平和について語ることは頗る大変な事である。しかし、平和とは何か、そのために私達は何をなすべきか、繰り返し考えることは出来るはずである。靖国神社や教科書問題など、「分からない」難しいといって逃げ出すのではなく、正しい知識を持ち、偏見を知り、人間として健全な判断力と良識ある行動を身に付けていく努力を怠ってはいけない。それが平和を考える上で、とても大切な事だと思うからである。生死を懸けてレポートした、開高健氏の熱き情熱と勇気には、只々おどろくばかりである。

 

               「ひめゆりの沖縄戦」を読んで           

 

                          13    丸山 健太

 

 「生きる」

 この本を読んでいると、何回も出てきた言葉です。今の僕と同じ歳くらいの、女学校の人たちが、お互いを励ますために、または、苦境に立たされた自分自身に、言い聞かせるように言っていました。それは、今の戦争のない日本に育っている僕が、日常、あまり使わない言葉です。だから、なおさらその言葉の重みを感じます。

 先生になるために、師範学校で一生懸命に勉強していて、もうすぐ卒業式を控えていたときに、学徒看護婦として、戦争に関わることになった生徒達。そして、爆撃で負傷したり、死んでゆく生徒。今の僕たちの学校生活の中では、とても考えられない光景です。しかも、卒業式は戦場で行われました。本来なら卒業式というのは、新しい門出の日になるはずなのに、その卒業式の最中にも爆撃を受けて、卒業生を送るための歌も最後まで歌えませんでした。僕は、戦争はすべての国民が犠牲になるもので、絶対にしてはいけないと思いました。

 今、僕は毎日、自分のことだけで精一杯です。そして一日が終わると、「疲れた。」と言っています。しかし、ひめゆり学徒隊の人達は、どんな気持ちで、一日を終えていたのでしょうか。きっと、僕の疲れとは比べることのできないような「疲労」があったに違いありません。みんな「生きたい」という一心で、毎日、爆撃の間をくぐって走っていたのだと思います。生徒達だけでなく、先生もつらかっただろうと思います。日々、生徒が負傷し、死んでゆくのを見て、先生達も戦争を恨んだに違いありません。200人もの生徒を守るのに必死だったと思います。壕をたらい回しにされた時も、先生は、生徒達を必死に励ましていたのだろうと思います。生徒達の命を守るためにがんばっていたのでしょう。だから、自分が死ぬ直前まで生徒のことを心配して声をかけていたのでしょう。

 この本を読みながら、すごいなあ。と思ったことがあります。それは、生徒どうしの絆がとても強いことです。負傷した子を、見捨てないで、何人もが手を貸してあげていました。早く行かないと、自分の命も危ないという時も、負傷した友達を背負ったり、肩を貸してあげたりと、皆で助け合っていました。昔の人達は、とても心が強いと思います。現代では、つまらないことで、いじめに発展することがあります。お互いに助け合おうという気持ちが、学徒隊の人達の半分もないからだと思います。助け合うことで生まれる、友情や、感謝の気持ちを、もっと大切にしていかなければならないと思いました。友人や、家族、学校の先生など、自分が今こうしていられることの感謝の気持ちを、改めて考えさせられました。

 読み進んでいくと、次第に、「自決」という文字が多く出てくるようになりました。始めの方に出てきた、「生きる」という言葉の反対の言葉です。このひめゆり学徒隊の中でも何人かは集団自決しました。どうして自決しなければならないのか、僕には分かりません。しかし、多くの日本人が自決しました。生きて、敵につかまるよりは、国のために命をかけた方がよいとされてきたからです。そんな中で、自決しようとした生徒に、「死ぬな、生きろ。」という先生もいました。僕は、その先生は間違っていなかったと思います。なぜなら、生き残った人々には、戦場で死んでいった人の分も生きる、という使命が与えられていると思います。そして、その人が戦場でどのような活躍をして、どのように国のために働いたのかを、家族や、後の人々に伝えていかなければいけないと思います。また、僕達も、伝え聞いたことを、自分の子や孫の代までも、次々と伝えていかなければならないと思います。

 僕は、今年の815日の正午には、黙祷をしようと思います。そして、志半ばで死んでいった学徒隊や、国のために戦死した人々のことをもう一度思い出して、感謝したいと思います。

 

                                   

編集後記  今回は159編の応募がありました。1年生が3名入賞するほど1年生の力作が目立ったコンクールでした。