香川高等専門学校詫間キャンパス図書館広報誌

電子工学科5年    石村 大樹

 

目    次

第23回読書感想文コンクール入賞作品

 

第1位 1リットルの涙 難病と闘い続ける少女亜也の日記・・ 電子制御工学科1年 久保田 将之

第2位 祈る人・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 情報工学科4年   柏原 麻美

第2位 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 情報工学科3年   大石 舞

第3位 なぜ彼は旅立ったのか?・・・・・・・・・・・・・・・ 情報工学科1年   瀬戸 友太

第3位 傷を読んで・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 情報工学科3年   岡野 七海

 

1リットルの涙 難病と闘い続ける少女亜也の日記

 

                              電子制御工学科1年  久保田 将之

 

 この本は一人の少女の書いた日記の物語。少女の名は、木藤亜也。

 著者であり、この本の主人公ともいえる、木藤亜也さんは、中学校三年生の時、何もない場所で急に転ぶなど、体の不調を訴え病院で受診をしました。そして診断の結果は、十五歳という若さでは到底受け入ることのできるはずのない、とても残酷なものでした。その病気とは、脊髄小脳変性症「せきずいしょうのうへんせいしょう」という、少しずつ手や足、言葉の自由を奪い最後には体の運動機能を全て喪失してしまう難病でした。

 発病してから、病気は徐々に進行していき、手足、言葉の自由は奪われて最後には寝たきりの生活となりました。そして1988年、二十五歳という若さで生涯を閉じました。この本は、そんな亜也さんが十四歳から二十一歳まで書き続けた闘病日記を彼女の母親が筆写して作られた本です。

 刻々と進行していく病気に対して、不安や苦悩にもがきながらも、「回復して歩いたり走ったりすることができるようになりたい。」と必死にリハビリをし、努力をする姿には、とても深く感銘を受けます。

 今まで物を取ったり、字を書いていた手、歩いたり走ったりできた足、運動ができていた体の各部分が失われていくことが、はっきりと自分自身で認識されてしまうことは、すごく残酷なことです。

 今、僕は十六歳です。僕の歳の一年前から亜也さんは、この病気になり一生懸命闘っていたのだと思うと、僕がなんとなく毎日の日々を生きていることが、本当に恥ずかしく思います。僕は歩けるし、走れる、立てる、自分の好きなことを好きな時にすることもできる。この毎日が当たり前のことだと思っていました。亜也さんのように、将来の夢があり、病気になる前から努力家で多くの思いを抱いている人の自由を奪う病気があることを知り、改めてごく自然だと思っていた生活がどんなに尊いものかとても考えさせられました。

 話の中で、泣いている場面が沢山あります。この原因も治療法もなく将来がわかっていても遅らすことしかできない難病と、彼女は泣きながらも向かい合い前向きに生きている姿には感動しました。なかでも、彼女を支える家族、特に母親の亜也さんに対する言葉は、どれほどの支えになり、彼女に希望を与え、救いになったことか。その中から、亜也さんは多くの言葉を残しました。

 僕が一番好きな言葉は、

「生きてゆこうよ。青空を思い切り吸い込んでみたい。さわやかな風がそっと君の頬を撫でるだろう。生きていこうよ。醜いなんて思わずにどこかで役立つことをひたすら信じて。」

という、言葉です。僕はこの言葉を見るたび、普段くだらない不満や人の悪い所を口に出している自分が本当に恥ずかしいです。他人に対する思いを、いつからこのように思うようになったのかと、思います。人は一人では生きていけない。誰かの助けや、支えがあって生きて行くことができる。生きていくためには家族、他人への感謝の気持ちを常日頃から考え、忘れてはいけないということを、もう一度改めて、思い出させてくれました。

「人の役に立ちたい。」

 この日記の至る所にこの言葉が記されています。この言葉に秘められた彼女の思いを多くの人に判ってもらいたいです。

 僕はこの本を読んで沢山のことを知り、沢山のことを考えさせられました。僕が今、こうやって生きていられるのは、家族、友達、周りの人々、今まで自分がお世話になった人のおかげです。天国にいる亜也さんに恥ずかしくないように一日一日を大切にし、僕も人の役に立てる人間になれるように努力していきたいです。

 命の尊さ、生きることの大切さという、普段当たり前に思っていることを忘れず心に刻んで生きていきたいです。

 

祈る人

情報工学科4年 柏原 麻美

 

「高い所から夜の町を見下ろすとき、みんな似たようなことを考える。あの小さな灯りの一つ一つに、知らない人のささやかな、それでもかけがえのない暮らしがあるんだって、そんなことを考える。でもそのあとは二通りに分かれる。そのささやかな暮らしのために祈る人と、そのささやかな暮らしを呪う人と。」

 この言葉は、「MISSING」の「祈灯」という物語で、真由子が幽霊ちゃんと呼ぶ友達が言っていた言葉を兄に話す言葉です。

 「祈る人」と「呪う人」、この世界では、どちらの人が多いのでしょうか。希望としては「祈る人」が多くあってほしいけど、本当に他人の幸せを祈るというのは、難しいことだと思います。家族、友達、恋人、自分の大切な人の幸せを祈ることはできても、まったく見ず知らずの、しかも多数の人の幸せを祈ることは不可能なことにさえ感じます。少なくとも、今の私にはできそうもありません。だからせめて、周りのいつも支えてくれている人達の幸せを願えるようにありたいと思っています。

 あらためて、自分を支えてくれている人達を考えてみると、多くて、とても温かい気持ちになります。何かあると、すぐ報告したくなる友達、無性に会いたくなる友達、無条件で毎日時間を共にする家族、本当にありがたいと思います。今までの人生、十八年間で出会った人達の数は、どのぐらいの人数になるのか想像もつきません。これからまだまだ増えていくけど、一人一人に感謝の気持ちを持って、接していきたいと思います。

 人の心の中や、過去、考えていることは、どんなにがんばっても分かるものではなく、その人が分かりやすく話してくれたとしても、その気持ちは完璧に体験することはできません。また、いつも笑顔で、誰にでも優しく接している人でも、心に深い傷を負っているかもしれないし、人はみかけだけでは分からないことの方が多いと思います。

 「私は祈る人になりたい。」最後に、真由子が言った言葉です。真由子もまた、過去に深い傷を負っている女の子です。自分の過去を受けとめての言葉で、すごく深いなあ。と感じました。

 私もうそ偽りなく、町の灯りを見たときに、「祈る人」になれるように、なりたいと思います。

 

                           MISSING 本多 孝好  双葉文庫

 

 

情報工学科3年 大石 舞

 

 私には夢がない。

 勿論、幼い頃には「歌手になりたい、ケーキ屋さんになりたい、漫画家になりたい・・・」それはもう沢山、可愛い夢をポケットいっぱいに詰め込んでいたはずだ。

 しかし、今はどうだろうか?

 私は、ポケットのどこを探したところで、本気で目指したいと思う夢を見つける事はできない。

 そんな中、気付くと私は十八になっていた。多くの友達は、知らない内に自分たちの道を見つけている。

 それにただただ焦っている自分がいて、毎日不安が増していくような気がした。

 そんな気持ちがあってか、私はこの本を読み始めた。

 主人公は、それなりに良い大学を出て、それなりに良い会社に入っていたが、普通過ぎる自分に憤りを感じていた。

 私は今、この学校で専門の技術を身に付けて、将来それを活かせる仕事に就けるかも知れない。

 けれども、それは私が本当に望んでいる事なのだろうか。今学んでいる事と全く別の物であっても、本当に自分がやりたいと思う事を見つけたい。実はそんな気持ちが強くなってきている事を、私はちゃんと知っていた。

 この本で一番心に残っている課題がある。『やらずに後悔していることを今日から始める』ことである。人は皆、やりたいことをやっていたら幸せになれることを知っている。でも収入、世間体、不安、それらに縛られて結局諦めてしまうのだ。

 つい先日、私は昔からの幼なじみで、今も同じ学校に通っている友達と、夢の話をした。

 その子は前からやりたい事があるけれど、やはり、収入の面や親の反対などで悩んでいた。

 そして実は私にも、興味はあるが諦めてしまっている、小さな憧れが存在した。

 しかし今も尚、「自分には無理だ」という気持ちや周りの目を気にして、どうしても一歩踏み出せないでいる。そしてこれは、誰にも話していない。恥ずかしさがあるからだ。

 私はこの先、どんな職に携わっているか分からない。この気持ちを「夢」に出来るかは私次第だ。

 しかしどんな道を選ぼうとも、一度きりの人生なのだから、私は後悔しないように生きたいと思う。

 これが私の今の夢だ。

 

なぜ彼は旅立ったのか?

 

情報工学科1年 瀬戸 友太

 

なぜ、彼は己を恥じなければいけなかったのか、非があるのは差別する側の人間、それを許す社会ではないのか。私は素直にそう感じた。「部落差別」を題材にした島崎藤村の「破戒」である。

「部落差別」というと、小学校や中学校のころ時間割にあった「道徳」の授業を思い出す。「渋染一揆」や「水平社」もこの授業で学んだ。ただ、正直言って私はこの時間が苦手だった。なぜかは分からない。ただ、心のどこかで自分には無関係なことだと考えていたのかもしれない。

 被差別部落に生まれ育った主人公・瀬川丑松は、父に生い立ちを隠して生きよ、と戒めを受ける。しかし、学校で丑松が被差別部落出身であるとの噂が流れ、さらに慕っていた猪子が壮絶な死を遂げたこともあり、ついに、生徒に土下座して、謝るということで、戒めを破ってしまう。その結果、偽善に満ちた社会は丑松を追放する。

 結末として、丑松は猪子のような解放運動家にはならず、アメリカ・テキサスへと旅立つことになる。しかし、この結末には「え、何故?」と思わずにはいられなかった。

 個人的には、丑松は猪子の後を継ぎ、社会の不条理に立ち向かう解放運動家になると思っていた。それなのに、なぜ丑松は戦うことを避け、逃げるようにアメリカへ行ってしまったのか。不思議だった。

 しかし、丑松という人物を考えると理解できた。それは作中の丑松の性格や行動の描写からも明らかに猪子とは異質であることが分かる。目立たない優しさや生徒から慕われる人間性などは見るべき面がある。

 しかし、彼にはナポレオンのような英雄的な人物ではなく、猪子のように社会の不条理に立ち向かっていくようなエネルギーに満ちあふれた人物でもない。丑松は我々と同じように考え、恐れ、葛藤する。

このように考えると、丑松は「日本の差別社会」から逃げ出したのではない。

 逆にこのような社会に絶望することなく、また、自ら命を絶つこともなく、新たな地で、新たな生活を求めて旅立つという決断こそが彼にとっての戦いであったととらえることができるのではないだろうか。

 また、自分を苦しめてきた社会に立ち向かうより、新たな生活を求めて旅立つ方が人間の肯定的な人生観、より自然な選択では無いかと考えた。そして、丑松はテキサスへと行き、 物語は一応の終局を迎える。

 80年以上がたった現在、出身地区による差別はなくなりつつあるのかもしれない。しかし、差別そのものは「いじめ」や「虐待」などに名前と形を変え、現実問題として尾を引いている。同じ人間であるある以上、互いに差別してはならない。これは誰もが認識していることである。それにも関わらず、まだ根強く残っていることは恥ずべきことはないだろうか。私たちに与えられた課題はまだ、未解決のままである。

 

傷を読んで

 

                                 情報工学科3年 岡野 七海

 

この本の著者の乙一さんは私が最も尊敬している小説家です。彼はせつなさの達人と称され、黒乙一、白乙一とも呼ばれる、残虐さや凄惨さを基調とした黒々としたストーリーと、切なさや繊細さを基調とした清々しいストーリーを書き分けています。どちらのストーリーも内容が奥深く、また少し乙一さんの非人間的な考えが伺えたりして、読み始めるとおもしろくなって止められなくなります。私が読んだ数ある彼の作品の中で1番好きなのが“傷”という話です。この話は白乙一の部類にあたり、とても人気が高いので映画化もされています。

主人公の「オレ」は小学生の男の子です。彼の担任である特殊学級の先生と同じで、私も彼への第一印象は「凶暴で喧嘩っぱやい問題児」でした。しかし読み進めていくと、喧嘩の理由がいじめられている子を助けるためだったりと隠れた優しい一面を知ることができ、彼に好意を持てるようになりました。担任の先生や特殊学級の仲間も彼と関わっていく中でそんな彼の一面を見てだんだんと慕うようになります。

そんな中で「オレ」は転校生の男の子、アサトに出会います。はじめ、私はこのふたりがどうしてすぐに仲良くなれたのか疑問でした。なぜならアサトは、無口でおとなしい「オレ」と全く正反対な子だからです。でもあとでよく考えると逆にそれが良かったのかもしれないと思います。自分がもっていないものを他人から見つけることは、大きな刺激であり、お互いの人間性を広げるとよく言われます。実際アサトも「オレ」も話のはじめと終わりでは全く別人のように変化しています。ふたりが互いに助け合いぶつかり合っていく中でそれぞれのつらい過去から立ち直り、考え方も前向きになったのでしょう。

私が「オレ」と同じ状況にいたら、自分とは全く正反対のタイプのアサトにいきなり話しかけたりなんてしないと思います。きっとほとんどの人が私と同じ考えだと思います。しかし彼はそんなアサトに話しかけ、それがきっかけで仲良くなり、ふたりの間には大きな絆が生まれました。私はそんな突発的な彼の行動に感心し、また、真似できたらなと思いました。

アサトは人の傷を自分の身体に移す事ができるという特殊な力をもっています。人が傷つくことを極端に恐れる彼は、その能力を使って他人の傷を全て自分のものにしてしまいます。「アサトはどんなに暑い日でも長袖長ズボン。常に肌の露出避けていた。」と書かれてあることから、その服の下には他人から自分の体に移した傷が無数にあることが想像でき、おもわすゾッとしてしまいました。

「傷も痛みもふたりで割って半ぶんこだ。」これは、「オレ」がアサトに向かって言った言葉です。この言葉がなによりも1番ふたりの絆の深さを表していると思います。この言葉を聞いたアサトは、今までひとりでためこんできたたくさんの傷の半分を「オレ」に預けました。彼が「オレ」に対し心を開き、誰よりも信頼しているとゆうことが伝わってきます。相当の覚悟だったと思います。

このようなお互いがお互いを思いやって支えあっていける関係は素晴らしいと思います。

いろいろ考えさせられ、読み終えると切なくなる乙一さんらしい作品だなと思いました。

 

第23回読書感想文コンクール入賞者