香川高等専門学校詫間キャンパス図書館広報誌

情報工学科4年  大浦 

 

目   次

 

自分にとっての図書館 ・・・・・・・・・・・・・・・・・ 一般教育科     中村 篤博

 

読書感想文のすすめ ・・・・・・・・・・・・・・・・ 通信ネットワーク工学科  川久保 貴史

 

科学雑誌ニュートンとの出合い ・・・・・・・・・・・・・ 電子システム工学科 増田  隆

 

結晶物語を読んで ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 電子システム工学科 雛元 洋一

 

木下藤吉郎・羽柴秀吉・豊臣秀吉を知らないなんて? ・・・・情報工学科     河田  進

 

 

 

 

自分にとっての図書館

 

一般教育科 中村 篤博

 

図書及び図書館に関することで執筆することになったが,あまり読書家ではない自分にとって,この機
会がなかったら,図書や図書館について振り返ってみたり,考えたりすることはなかっただろう。
図書館は,大学生になってから,調べ物をしたり,レポートを書いたりする場所としてよく利用してい
た。同級生と図書館で勉強し,合間に学食にいって,甘いものを食べたり,どうでもいいような話しした
りするのが楽しかった。そのうち,ちょっとした空き時間にも図書館を利用するようになり,一人で考え
ごとをしたり,専門分野と全く違う本をパラパラ読んだりしていた。そうすることで,心のもやもやが軽
くなったり,何か考えがひらめいたりと,何となく心地よかったし,心が解放される場所であったように
思う。また,自分以外にも,レポートや試験勉強に追われている学生をいたるところで見かけ,静けさの
中にもエネルギーが満ちていたように思う。

図書館の膨大な数の本を無造作にながめていると,目にとまる本に出くわすことがある。多くの場合,

パラパラとみて元に戻すことになるが,自分の興味をひく内容であることがある。この偶然から,新しい

発見や知識を与えてもらえるような気になれたし,好奇心がわいてくる。このように,思いがけず興味の

ひく本を見つけると,視野が広くなるように感じることもあったし,非常に漠然としているものの,研究

について夢を持つこともできたように思う。

 最近,書籍の電子化が進みつつある。しかし,いくら携帯電話の機能やモバイルパソコンが普及しても,紙媒体である本を読んでいる人はまだまだ多く見かける。電子化された辞書や百科事典などは,かなり普

及しており,私が学生であった頃とは,大きく違っている。目的のものを手早く検索することができ,コ

ンパクトで持ち運びも楽にできるというのは,非常に利便性が高い。しかし,その一方,自分が必要と判

断した情報にのみ目をとおし,それ以外の必要かも知れない情報を見過ごしてしまう恐れがある。また,

自分の興味のある分野の本のみを検索用語で探すことができるため,新しい本との偶然の出会いが少なく

なるのかも知れない。もし,紙媒体の本が少なくなっていくとしたら,寂しい気もする。

レポートの調べ物や試験勉強だけでなく,もう少し広い視野で図書館を利用したり本と接したりすると,より豊かな人間性が養われるように思う。

 

 

 

 

読書感想文のすすめ

 

通信ネットワーク工学科 川久保 貴史

 

読書感想文は苦手である。

小学校や中学校の頃,長期休みの宿題として必ず課される作文が嫌で嫌でたまらなかった。そうはいっても,半強制,拒否権無しの課題。とにかく原稿用紙のます目を埋めることだけを考えて書いた。埋めていくテクニックの例としては,出来るだけ長い名前の主人公が登場する作品を選んで,あらすじを延々説明するというものが挙げられる。(「ああ無情」はおススメ。登場人物の"ジャン・ヴァルジャン"を連呼すれば原稿用紙はかなりのスピードで埋まる。・・・くれぐれも,真似はしないように!)

さて,中学校を卒業して高専(本校)へ進んだ私は,ようやくこの読書感想文から逃げられると思った。ところが,入学と同時に友達に誘われて文芸部へ籍を置くことになり(いくつかクラブを掛け持ちしていた),その最初の夏休み,文芸部部長から出た指令は「読書感想文を書いて図書館の読書感想文コンクールへ応募しろ」というものだった。作文からは,そんなに簡単には逃げられないものである。

どうしようかと悩みながら,図書館からの読書感想文の募集要項を眺めていると,確か,次のような内容の記載があった。“専門書でも時刻表でも,感想文は書けるはずだ”・・・なるほど。じゃあ,やってやろうじゃないか!と思った。

その夏に,私が書いた読書感想文のタイトルは“「時刻表」を読んで”。本学図書館に残っていた「図書館だより」のバックナンバーから,拙文の書き出し部分だけ引用してみると・・・“数ヶ月前,私は,JR詫間駅で「時刻表」を貰った。これは非常に特異な本である。実用性が高く,文章も簡潔すぎるほど簡潔で,しかも数字が殆どを占めている。”・・・嘘偽りなく,普通の時刻表についての読書感想文である。時刻表であるから,当然,特定の登場人物なんていないし,ストーリーなんて書かれていない。だから,前述の登場人物+あらすじ列挙法が使えない。しかし,裏を返せば,主人公を自分として,好き勝手に作文できるということである。(時刻表の主人公は,時刻表を使う人物,つまり自分自身である!)

各方面から怒られるのを覚悟の上で,そんな実験的な読書感想文を図書館へ提出したところ,なぜか入選。校長室に呼ばれて図書券を頂いたのを覚えている。(「これは読書感想文じゃないよ。」という審査員の意見もあったと伺っている。・・・仰る通り。)

本学を卒業して約10年,2009年の4月に教員として再びこの地に戻ってきて,夏の読書感想文コンクールがずっと続けられていることを知った。学生の皆さん,これはぜひ応募するべき。図書館で本を借りて読んだら,後は原稿用紙とシャープペンシルがあれば書けるこの作文(元手は要らない!)。それで入選したらオイシイと思う。本を読んで感じた思いを,是非,自分の言葉で書いてみよう!(ネットからコピペするのは厳禁。卑怯だ!)

 

私?・・・私は,読書感想文は苦手である。

 

 

 

 

科学雑誌ニュートンとの出合い

 

電子システム工学科 増田 隆

 

昭和五十六年の事である。私が内地留学で京都大学にいた時の四月,今までに無い写真とイラストのリアルな科学雑誌が発刊されるという噂が聞こえてきた。その噂は教授からだった。大学内ではその噂があちこちで囁かれていた。図書館や食堂など大勢の人が集まる場所ではこの噂が誰と無く話し声の中に混じっていた。

それから一ヶ月余りたった頃,各書店で注文を受けているという話が飛び交っていた。そうこうしているうちに一ヶ月程度がたち,いよいよ書店に並ぶという噂が濃厚になり,販売前日は内容が気になり早く見たいという気持ちで余り眠れなかった。次の日,教授が鞄から科学雑誌「ニュートン」を取りだし,講座の助教授や助手や私そして大学院生に見せてくれた。一瞬私は思った。この手の本は今まで無かったと・・・。内容を見るなり早速近くの書店に注文した。しかし,注文が多くて手にはいるかどうか約束出来ないと言う。だけど仕方ないので注文した。二週間程度たった頃,講座の研究室に電話がかかった。何とか入りましたという内容の電話。早速代金を持って買いに行った。今まで,不自由なく本が買えていたが,一冊の科学雑誌本を買うのにこれほど大変な思いをしたのは初めてだった。このように,苦労して購入した本だったので端から端まで全部読みあさった。関心のある所は何度も読み返した。これが私にとって,科学雑誌「ニュートン」との出合いである。その後,毎月購入して二十八年間が過ぎた。現在も購入しつつ端から端までしっかり読んでいる。私が創刊号から購入している科学雑誌はこれだけである。この雑誌によって地球の自然や天体そしてミクロの世界など,いろいろな自然科学の多くを教えてもらった。   

内容を一部紹介すると,創刊号は昭和五十六年の七月七日に発行され,その前に第一巻0(ゼロ)号が五月五日に発刊されている。0(ゼロ)号は特別寄稿として江崎玲於奈博士の「エサキダイオードが生まれるまで」や「銀河系のすべて」などが紹介され,竹内均編集長が采配する八百円の月刊誌(現在は千円)。四十二ページには江崎博士の若き日の写真が,薄膜結晶を作る超高真空分子線結晶成長装置の横で活気溢れんばかりに写っている。これ以外にも特別取材されたスミソニアン博物館や近代科学の夜明けに輝く巨星「アイザック・ニュートン」等の記事が所狭く描かれている。さらに内部の写真やイラストがリアルで素晴らしさを感じた。また,第一巻一号として発刊された創刊号は二ヶ月遅れで発刊され,内容は「太陽系の神秘」や「遺伝子細胞」そしてニュートンスペシャル「万有引力」が目を引いた。

また,異分野では寺嶋祐二氏の漫画雑誌「ダイヤのエース」を創刊号から愛読している。著者の寺嶋祐二氏とは二昔前,少年野球の選手とコーチの関係でもあった。現在,寺嶋祐二氏は新進気鋭の漫画家に成長しつつある。

 

 

 

 

結晶物語を読んで

 

    電子システム工学科 雛元 洋一

 

江本勝先生著の『結晶物語 〜水が教えてくれたこと〜』という本を先日読みました。なぜ,それを読もうと思ったのかというと水の結晶写真が豊富に載っていて,どの写真も個性的で目を引くものばかりだったからです。また,それらの写真をつなぎ合わせて,ひとつのストーリーとして物語が展開するというのも魅力的でした。内容のはじまりは次の通りです。

水って何でしょうか。生命は,水から生まれました。太古,海という「生命のスープ」から,最初の生きものが生まれたのです。水はすべての生きものの母であるだけでなく,文明の母でもあります。インダス,メソポタミア,エジプト,黄河といった古代文明は,すべて川のほとりで花開いています。

私たち人間の顔がそれぞれ違うように,水の結晶も二つとして同じ姿はありません。しかも,水に声をかけたり,音楽を聴かせたり,あるいは文字を見せたりするうちに,それぞれ味わいのある独特な結晶ができることがわかってきました。宇宙そのものを思わせる荘厳な結晶。繊細できらびやかな結晶。若枝のようなのびやかで愛らしい結晶。生命の輝きともいうべきそれらの美しい結晶を眺め,楽しんでみてください。

 水は,文字や言葉,音楽,写真に反応し,それぞれの性質を体現するように,独特の結晶をつくり出します。それは,そのもののもつ「波動」を,水が読みとるのだと考えられます。この世界のすべての存在は,波動です。つまり,すべての生きものや物は,すべてが振動していて,固有の周波数を発し,独特の波動をもっているのです。

 そして,そのように物がもっている固有の周波数を敏感に感じとるいちばんの名人が,水なのです。水は波動という情報を転写して,記憶することができます。ですから私たちの思いが水をよいものに変えることもできますし,よい波動を持った水を飲むことで,健康を取り戻したりすることが考えられるのです。   

結晶というと,宝石のように輝く六角形の姿をイメージする方が多いでしょう。科学的には,結晶とは,原子あるいは分子が規則正しく配列している状態の固体をさします。水が凍るとき,水分子が水素結合によって整然と連なって結晶格子がつくられます。その結晶格子が六角形の構造になって安定し,成長してはじめて,結晶があらわれると考えられます。そしてこのとき,結晶格子のつくられ方によって,まったく異なる姿に成長するのです。氷の粒が成長してから溶けてしまうまで,結晶の一生はわずかです。しかし,その短い生涯は,私たちにかぎりない生命のドラマを見せてくれるのです。

結晶は,いわば「水の顔」です。その水がつくる結晶は,通常の成分分析ではとらえきれない,水の心を写し出してくれます。もちろん,結晶は二つとして同じものはありません。きらびやかな結晶ができるシャーレもあれば,ほとんどくずれてしまって結晶にならないシャーレもあります。けれど,何種類もの水を五十個のシャーレで凍らせ,その結果を統計にすると,まったく結晶ができない水,くずれた結晶しかできない水,明らかに似た結晶があらわれる水と,それぞれ際立った個性があることがわかりました。私たちが耳を傾ける気になりさえすれば,結晶はさまざまなことを語ってくれるのです。

 以上,みなさん興味があればぜひ「結晶物語」を読んでみてください。新たな世界観が広がることでしょう。

 

 

 

 

木下藤吉郎・羽柴秀吉・豊臣秀吉を知らないなんて

 

情報工学科 河田 進

 

私は乱読で子供の頃から沢山本を読んでいました。寝るときは枕元に電気スタンドと一冊の本を置き,読んでいるうちにいつの間にか寝ているというのが習慣になっていました。おもしろくて止められず,気がつくと夜中の23時はしょっちゅうでした(学校での居眠りもしょっちゅう(笑))。

中学生のときは自分から進んで図書委員になっていました。私の中学校には図書室があったのですが,週に数回貸し出し処理を放課後行い,委員はそれを手伝います。委員は図書の整理や清掃なども行うので鍵を普段持たせてもらえたのです。私のねらいはこれでした。昼食が済むとこっそり図書室へ入り込み,誰もいない静かな部屋で読書を満喫していました。また,図書委員は新規に購入する本を推薦することもできました。当時私はSFにはまりかけていました(ただ,SFという言葉は知りませんでした)。宇宙を舞台にしたジュナイブルものが多かったのですが,図書室にあるものは数冊で,あっという間に読んでしまいました。そこで委員会で提案したのですが,SFという言葉が分からないので,「宇宙関係の本」という表現をしました。すると銀河系や太陽系の構造,天体観測の方法などの本がどっさり。これらも嫌いではないのですが,ガッカリしたことを憶えています。

ところで,記憶している中で最初に夢中になった種類が偉人伝です。小学生向けに書かれている本でしたから,単純で分かりやすく悪い印象を与えることなく,読み終わる頃にはその人に憧れるようになりました(今考えると本当に単純な自分)。中でも印象的なのはやはり,織田信長,豊臣秀吉,徳川家康の3人です。今はちょうどNHKの大河ドラマで取り上げられている坂本龍馬に興味を覚える人が多いと思いますが,色々な意味で奇想天外な人生を送った3人の方に私は強い興味を覚えます。特に豊臣秀吉はジャパニーズドリームの体現者ですから,映画やドラマでも度々題材になっており,日本人で知らない人は居ないと思っていました。ところが,現役の大学生と話をしていたとき,たまたま「木下藤吉郎」という名を口にしたところ,「それ誰ですか?」というので,「豊臣秀吉のことですよ」と答えました。すると「えー?豊臣秀吉?あー,歴史で習ったな...」という返事。私は口が開いたまま絶句!聞くと,小説のたぐいは殆ど読まないとのこと。学校で習う歴史も暗記科目で習った以上のことに興味を覚えないとのこと。

これで良いのでしょうか?学校で習う歴史はあくまでもさわりです。そこに登場した人物や事件,背景,作品,風習などを詳しく知らなければ歴史を勉強したとは言えないでしょう。歴史は,知識ということではなく,我々の行動規範の手がかりを教えてくれる存在ですし,人生を豊かにしてくれるはずです。本を読まない方,一考して下さい。