図書館の思い出

情報通信工学科 長岡 新二

 小学校、中学校時代には、亡き父に連れられて、神戸の港が見える高台の図書館へよく行った。親父は読書好きで、歴史、文学、数学、物理、電子、化学などなど。あるときは、アインシュタイン、長岡半太郎、遠山啓、湯川秀樹・・・、あるときは万葉歌人から山頭火・・・など、解らぬ私に話しながら館内の書棚を巡り歩く。理科や歴史などの数冊の本を借りて、港を眼下に坂道を歩いて家路に向かう。途中に、絵を飾る小さな喫茶店があった。静かな曲の中で、親父と私は借りた本に目を通す.カレーライスかホットケーキのご馳走が楽しみであった。

 大学受験浪人中は、昼間の予備校に行かず、この図書館の自習室で自分で作ったスケジュールに沿って夕方まで学習し、近くの予備校の夜間部へ通った。昼には母の作った弁当を食堂で食べ、半時間ほど自席で昼寝するのが楽しみであった。夕方にはこの食堂でうどんを食べて予備校へ向かうのが習慣であった。図書館で受験勉強ゆえ、参考書には困らなかった。大学入学後は、早々に、流行の学園紛争で図書館も封鎖され、利用した印象は薄い。

 昭和47年に当時の電々公社武蔵野電気通信研究所へ入所した。そこには地下1、2階に大きな図書館がある。蔵書、雑誌に関しては、電子通信はもとより、建築、土木、機械、材料、医学などなど、ほぼなんでも揃っている。半世紀前の戦前の電気学会誌やIEEなども特別資料室に見られた。数百、いや千件以上の先輩、現役研究者の博士論文が所蔵されており、これを閲覧することによって、私の関連する研究の背景や研究手法、文献調査に大いに役立った。古いものは数百ページに及ぶ手書きの論文もあった。研究所での勤務中は書く暇は無く(書いていると上司に叱られる)、私もそうだが、帰宅後や休日に作成している。図書や雑誌の借用は館内のパソコンで各研究者のIDカードを認識し、雑誌などのバーコード読み取りで最大30冊まで可能である。現在の株式会社NTTの研究所はその研究内容に応じて関東、関西6ケ所に別れているが、各研究所に図書館があり、専門に応じた蔵書、雑誌類を保管している。各図書館保有雑誌などの情報を、研究者は自席のパソコンで検索してコピー依頼ができるシステムとなっている。ある図書館には、丸善などの一般書店の出張所があり、ここで直接購入することもできる。また一部では、英語圏の外人添削者が常駐し、海外学術詩雑誌や国際会議への投稿論文について、膝を交えて議論しながら査読と修正がされ、これは本当に助かった。

 6年前に、たまたま帰宅中の神戸の自宅で震災を経験した。県立、市立図書館の被害は甚大で、半年以上、一年近く間閉鎖状態であった。建造物が修復されても、図書の整理と地域図書館との間のネットワーク回復に時間を要したと聞いた。このような時にこそ、図書館が地域のコミュニティーセンターとして、いち早く回復すべきであった、と強く感じた。

 ところで、当校の図書館には電子、通信、情報に特化した書籍が大変多く、専門の異なる分野の学習に大いに役立っております。

 十数年後には、孫の手を引いて、冒頭の港の見える図書館への坂道を歩いているやも知れません。